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人ごみ論
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人ごみ いやさ 人がいっぱいいる光景が苦手だ。

 話は飛躍するけれど 手塚治虫のブッダを読んだ。

主人公のシッダルタが何にでも神は宿っていると悟るシーンを見た。

確かにそうなのだろう。全ては全てに繋がり全ては全てなんだろうと思う。

all is one. one is all.

物事だけじゃなくてそれは人にも当てはまる。

 ホムンクルスって漫画の主人公は自分の中のトラウマ?歪みを

人の歪んだデフォルメされた姿で見る特殊能力を持っている。

正直あんなの嫌だとは思うが。

何が言いたいかと言うと 1は全 全は1

自分という人間を知る方法は自分を見ることじゃないと思う。

 人の生活 動き 話す事 さりげない仕草。

そんな中に自分の姿を見ることで自分は自分を見ることが出来るような気がするのだ。

それはちょっとポジティブな考えなのかもしれない。

でも僕はそんなことが凄く恐ろしく感じられる。

自分が歩いている道は 既に誰かが歩いた道なのだ。

自分が食べる食べ物は 既に誰かが食べたことのある料理なのだ。

自分がいるこの場所は 既に誰かが立って生活をしていた場所なのだ。

自分が考えている事は 既に誰かが考えていたことなのだ。

じゃあそんな繰り返しをしている自分はいったいどこにいるんだろうか。

今動く行動も見る光景も聞く音も手の感触も考える事も

全て誰かが既にやってしまっているかも知れない。

3桁年しか生きられないであろう人間からすれば途方もなく長く重く積もった時間の中で、

全く同じ自分がいたのかも知れないんだ。

そう 考えると とても怖くなる。アイデンティティも糞もあるか。

 

最近 考えることが少なくなった。モノを書くことも。

別に悪いこととは思わないけれど、ちょっと寂しい。

大勢の人と想いにまぎれて溶け込んで今日も僕の人生に時間は積もる。

 

 

 

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