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涙論
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悲しいことや苦しいことや重いことその他もろもろの棘棘したモノ

そんなのを緩やかに削って自分の中身を守るために涙は流れる。と思っている。

何か悪口を言われる。何か苦しいことをされる。

そうすると棘棘して痛いモノが頭の中に入り込む。

僕はそれを糸鋸の歯とイメージしている。

いったん入り込んだそういった頭の中で暴れて仕方ない

刺々しくて痛いものは

容赦なく際限なく自分の中を引っ掻き回し熱く熱せられ直後に冷まし

エグって血を流させ肉を剥がして休む間もなく痛みをよこす。

それで体も頭も耐え切れなくなって涙を流す。

頭の中で暴れてしようがない歯を流れて削って丸くして痛みを軽減させる。

傷に流れて消毒し膿を出し流して綺麗にしていく。

それはどんなことに対してもそうで。

たとえば誰か人が死んだらその悲しさが歯になって頭に入ってくる。

暴れて暴れて痛いから涙を流す。

そんでその人が居なくなって悲しい原因を

ゆっくりゆっくり削ってきれいにしていく。

だからか

人が死んで暫く経つと

それまで自分を壊していたモノは綺麗な思い出とかになって

ちょうど美術館の彫刻や本棚の絵本みたいに頭の中に並べられる。

思い想いはゴツゴツした石だ。

思い出の原石は涙で形を整えられて並べられる。

だから泣かない人はそんな思いが溜まっていく。

血と膿を流しながら暴れる石や棘棘を直視しながら生きていく。

そう思ってから意地なのかなるべく泣かないように努力している。

どんなに痛めつけられても

それはそのままそこにあるべきで

綺麗に整えて並べてしまえるようなモノじゃないと想っていたい。

言われた陰口笑った冗談遊んだ場所怪我した場所全部

そんなのがあってこそ それはそれなのだから。

涙以外のモノで削れるのはしかたないだろう。

時間は容赦なく上から誰にも重く降り続けて溜まっていっているのだから。

嫌なら止まればいいのだから。

 

 

 

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